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ずっと読もうと思っていて読めずにいる本の話

第8回 2012.07 O先生の思い出 『大菩薩峠』中里介山 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

中学に入るまで読書には関心がなかった

読書の面白さを覚えたのは、中学校1年生のときだった。それまで私は、読書にほとんど関心を持たなかった。私の本棚には、アマチュア無線関係の技術書しかなかった。電気技師だった父の本棚には、電気工学の専門書と数学講座、それから太平洋戦争中の日本帝国陸海軍航空機図鑑があった。なぜ航空機図鑑があるかというと、1945年3月に召集された父が中国大陸に駐屯する陸軍航空隊で通信兵をつとめたからだ。母の本棚には、聖書とキリスト教関係の本が数冊あるだけだった。父は小説にはほとんど関心がなく、小説類では子母澤寛『新撰組始末記』しかなかった。母は実は小説好きだったのだが、女学校時代「小説は不良が読むもの」と教師から教えられたことと、沖縄戦を体験した後、洗礼を受けたプロテスタント教会の牧師が「小説は信仰の妨げになる」という信念の持ち主だった影響を受け、小説に関心を持たない方向に私を誘導していた。それだから、小学校時代の私は、読書にあまり関心を持たなかった。

小学校6年生のときに大病を患い、4カ月間、学校を休んだ。幸い、留年は避けられ、無事、中学校に進学することになったが、勉強についていけるかどうか不安だったので、学習塾に通うようになった。この学習塾で国語を教えていたのが、早稲田大学商学部を卒業し、編集者の経験をしたO先生だった。いきなり高校入試問題を解かせる実戦的な授業だったが、毎週、本を一冊読み、感想文を提出するという宿題が出された。このときの訓練が、後に外交官になったとき、公電(外務省が公務で用いる電報)を書くときの土台となった。O先生は、「テキストに何が書かれているかということ、それについて君が何を思ったかということは、きちんと区別して書かなくてはいけない」と私たちを指導した。また、「感想文を書く際には、必ずテキストを引用し、その頁を明示しなくてはならない。他人の考えを自分の考えのように書くことは、剽窃になる」と強調していた。剽窃という言葉の意味がわからないので、私が尋ねると「盗むことだ。引用をきちんとしておけば、盗みにはならない。他人の考えと自分の考えを区別する習慣をつけておくと、そのうちに君たち自身の思想ができてくる」とO先生は答えた。

Photo by Aya Shirai