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ずっと読もうと思っていて読めずにいる本の話

第10回 2012.07 砂漠で魚を釣る人々 『湿原のアラブ人』ウィルフレッド・セシジャー 大竹昭子(作家)

書評にうながされ手にした一冊

表紙には、頭にターバンを巻き、裾の長いガウンをまとった男たちの写真が載っている。魚捕りをしているのだろうか、ゴンドラのような底の浅い舟の舳先に立って、銛のついた長い棒で水のなかを突ついている。一度見たら忘れられない鮮烈な印象を与えるが、どこの国だろうと考えると当てがない。ターバンはインド風だけど、長いガウンはアラブ風、とまったく幼児のレベルの言葉しか浮かんでこない。

知らない土地の風俗についてはついそういう反応をしがちで、○○みたい、××と似ている、とわずかに湧いてきたイメージにかこつけて曖昧なことを言い合う。よく欧米人が中国人と韓国人と日本人をごっちゃにすると言ってわたしたちは笑うけれど、未知の社会に生きる人々に対しては、おなじことを平然とやっているわけだ。

 

『湿原のアラブ人』を購入したのは2009年の秋だ。青山の書店でトークショーに出た帰りだった、とディテールもよく覚えている。2009年10月の出版だから、出てすぐのことだ。原書の出版は1964年で、45年をへてようやく日本語に訳されたわけである。

とは言ってもわたしは原書の存在を知っていたわけでも、翻訳を待望していたわけでもなかった。買おうと思ったのは書評で読んだからである。おびただしい数の本が出版され、しかも短期間で書棚から消えていく昨今では、新刊のときに出会っておかないと、一生行きはぐれることになる。いまを逃せばこういう本が存在することも忘れてしまうだろうと、閉店間際の店内を探し、レジに駆け込んだのだった。

書評を書いていたのは、イラク現代史の専門家である酒井啓子さんだった。勘のいい読者ならば、45年前に出た本がなぜこの時期に翻訳出版されたのかピンとくるだろう。

2003年3月20日(日本時間)、9・11同時多発テロに逆上したアメリカは、矛先をイラクにむけて侵攻を開始した。この日付けはメディアが開戦日を新年のカウントダウンさながらに騒ぎ立てたから覚えている。見せ物もここまできたかと愕然としたものだが、戦争の火ぶたが切って落とされると、イラク専門家が毎日のようにテレビにかり出され、イラク情勢を解説するようになった。そのひとりが酒井啓子さんだった。女性でイラク研究をしている方がいるのが新鮮だった。

酒井さんは書評のなかで、本書のおもしろさを力説し、これに出会ったことがイラク研究をつづけるきっかけになったと書いていた。そういうこともあるのかと感慨深く感じた。政治とは直接関係のないこういう本が引き金となって、ひとつの国に深く入っていくこともあるのだ。

Photo by Aya Shirai