voices

ずっと読もうと思っていて読めずにいる本の話

第11回 2012.011 「見尽くした」とぼくが錯覚したときのために 『深夜特急』沢木耕太郎 宮内悠介(SF作家)

たぶんあれのこと

ぼくはカルカッタの安宿街にいる。

六、七十年代と比べ、旅行者はだいぶ減ったと聞く。それでも街を歩けば、ちらほらと目に入ってくる。ぼくらは歩き疲れ、日本語に飢え、カフェや定食屋に集まっては、別の国の話とか漫画の話とかAKBの話とかをする。

「ふうん」と輪のなかの一人が言う。「そうか、小説を書こうとしてるんだ」

「ええ」

「じゃあ、人より本は読んでいる?」

ぼくは大学の文芸サークルの面々を思い浮かべ、「読んでない」と言いかける。

「たぶん、平均よりは」

「じゃあさ」と相手は身を乗り出してくる。「あれは読んでる?」

なんだろうとぼくは考える。

結論はすぐに出る。旅行者があれといったら、たぶんあれのことには違いない。

「ごめんなさい」とぼくは応える。相手はなんだという顔をする。

 

『深夜特急』は言わずと知れた、沢木耕太郎の紀行小説だ。

描かれるのは、東アジアからロンドンに至るまでの沢木自身の旅路。「シルクロード横断」として知られる定番のコースでもある。かつてアポロが月へ行ったころ、人々はこのアジア横断の陸路が、いかに発見に満ちているかを発見した。

黄金の七十年代前半。

沢木もやはり驚き、発見しながら、この当時の人と景色をいまに伝える。それはやがてたくさんの若者を旅に導き、旅人のバイブルの一つとなった。──とされている。

Photo by Aya Shirai